かつて料理人とは、主に大きなブルジョワ家庭に仕えていた女性でした。
しかしフランス革命、経済危機を経て、ブルジョワ家庭は次第に減っていき、
料理人として働いていた女性たちは19世紀後半に独立せざるを得なくなったのです。
まず絹織工や絹織業従事者向けの食堂を開いた女性たちは、
そこでプラルド・アン・ヴェシー(若鶏の内臓詰め) やカルドン・ア・ラ・モエル
( アザミの骨髄添え) のようなシンプル且つ繊細な料理を誰にでもふるまいました。
「ブラジエ母さん」ことユージェニー・ブラジエは、1921年頃から食通たちを
もてなすようになりましたが、その中にはド・ゴール将軍、リヨン市長エドゥアール・エリオのような著名人も
いました。実は、かの有名なポール・ボキューズも、若き日に彼女のもとで料理人としての修行を積んでいたのです。
その他にもブラン母さん、フィルー母さん、プポン母さん、レア母さん、グランド・マルセルなど有名な母たちが
リヨンには大勢います。